早く解脱したい

社会に適合できないオタクのブログ

落武者狩りが見たかった(麒麟がくる)

最終回放送から何ヶ月も経っていて今更ではあるが、どうにも心に引っかかったままだったので、記事にしておきたい。

2020年大河ドラマ麒麟がくる」を振り返って思ったこと。

 

数年ぶりに完結まで鑑賞した大河ドラマだった。

麒麟の前に見たのは「平清盛」である。ド名作乙女ゲー「遙かなる時空の中で3」に狂った過去を持つため、源平合戦に興味があったことから見始めたが、山本耕史演じるみんなのアイドル藤原頼長様をじっくり描写してくれており、楽しく鑑賞した覚えがある。頼長が家盛を手籠めにするシークエンスは、日本史における男色文化を大河ドラマといういわば権威がきっちり描いたことに驚いたし、よい描写であると思った。(ただし、頼長が男女両方と性関係を持っていたのは本人の日記の存在からほぼ明らかな事実であるが、家盛との関係は史料上にはみえないようで、脚本の創作であろう)

ただ、それ以外の大河は数えるほどしか見ておらず、私にとって大河ドラマというのは「よっぽどポジティブな理由がない限りは見ないもの」だった。1クールのドラマでさえなかなか見れないのに、いわんや1年間つづく大河をや。

では、なぜわざわざ明智光秀という大河ドラマで扱うにはちょっと地味めに思える人間のドラマを1年間鑑賞したのか。理由は簡単で、私は光秀が落武者狩りに遭って死ぬところが見たかったからである。

 よい趣味だとは思わないが、私は「頑張ってきた人が無惨にも殺害される」描写に興味がある。もっと言ってしまえば、それをエンターテインメントとして消費することに積極的なタイプだ。

一応書いておくが、実在人物に進んで苦しんでほしいわけではない(ただし税金を食い潰す政治家や武力で国民を弾圧する軍指導者とかはその限りではない)。

ただ、悪趣味な愉しみとして、美しいものが無惨にも破壊され、その屍が野に晒され朽ちていくさまを鑑賞したいという思いを抱いている人は、多いとは言わずとも、いなくはないだろう。実際に見た場合に興奮するわけでもないだろうが、あらかじめ見なされるものして準備された作り物であるならば別だ。処刑された首の絵なんてそこらじゅうに転がっている。

だから、私は光秀が無惨にも殺害され、身ぐるみを剥がされたさまを見たくて、大河ドラマ明智光秀」を見ることにした。

一年かけてじっくりと描写される男、その生き様の終着点が、民衆になぶり殺されるという、この虚しさ。そんなデカダンスなことを公共放送たるNHK大河ドラマで堂々とやってくれるというのだ。これを見ずして何を見るのか。長谷川博己はかっこよく、彼が演じる光秀の死顔はかなり見たい。

 

しかし結果は見ての通り、山崎の戦いの描写はすっ飛ばされ、 明智光秀は生きてるのか死んでるのかよくわからん存在として画面の向こうへと駆け抜けていった。

 

なので、 最初に最終回を見た時は、率直に言って、結構がっかりした。

オープニングが山崎の戦いを描いているというネット上の噂にはなるほどなーと思ったが、せっかくなら本編で描いて欲しかった。一年続いたドラマでまさか主人公がナレ死するとは思わないじゃないですか。まあ生きてるか死んでるかわからん状態に持っていくには、明確に死を描写するわけにはいかなかったのだろうが……。

なお、最終回の見どころである本能寺の変は、信長がなんかすごいことになっており、全体としては楽しく鑑賞した。一人の人間の愛の結末を見た。というか、この物語は光秀と信長の話だった。

今年の大河は、信長といい秀吉といい、既存のイメージを打破しつつ非常に人間的な、濃厚な人物描写がなされており、俳優の演技も相まって、キャラクター描写に卓越したものがあったと思う。

 

しかし、ドラマの最後に至るまで明確に麒麟が実際に来たことにしなかった脚本は私は好きである。家康の描写はなされるが、彼の隣に麒麟はいない。

十二国記の世界には麒麟が実在し王を選ぶが、あいにくこの世界にそんな瑞獣は存在しない。徳川幕府は大規模な争いのない・発生しない社会制度を作り上げたが、それは封建制度の犠牲者、食い扶持にあぶれた牢人、家父長制に苦しむ女性などのマイノリティを踏み潰したうえに成り立った、人によってはとても天下泰平とはいえないものだ(これはどんな社会でもそうだろう)。そのような社会を安易な理想郷の象徴としなかったラストは、私には納得できるものだったし、好感を抱いた。

光秀は単に生きながらえただけではなく(もしくは死んでいるとしても)、彼自身が平和を求める者の象徴概念、つまりは麒麟となり日本を駆け巡るのだろう。

 

麒麟という瑞獣はこの世界には存在しないが、平和を求めた人間の思いが麒麟となった。

しかし彼の求めた世はいつ訪れることか。あるいは光秀=麒麟はこの令和の世をも彷徨うのだろうか。